セイの雑記ブログ

40代でセミリタイアした男の雑記ブログです。

まじめに働いても労働者は搾取されるだけ

こんにちは、セイです。

 

「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」

 

有名な石川啄木の歌集『一握の砂』。

 

石川啄木は明治時代に活躍した歌人・詩人です。

 

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#どうでもいいけど、石川啄木の似顔絵なんかもあるようです。「いらすとや」って本当に何でもありますね。

 

 

明治時代に比べたら平成(まもなく令和)の世は飛躍的に生活レベルが向上していますが、それに伴って必要な経費も向上し、苦しいのは何時の世でも変わらないのでしょうか。(飢え死にしないだけまし?)

 

次の記事は「まじめなだけ」のサラリーマンでいいのかと提言しています 。


 

働いて、浪費しなければ貧乏にはならないと思いますが。どちらかというと貧乏くじを引くという意味合いがあってるような気がします。

 

私たちは、親や学校の先生から、「まじめに働くことが大事だ」と教わって生きてきました。もちろん、人生のある一定の時期はそういう姿勢が必要な場合もあります。私もそう信じています。

 

「まじめに働くことは大事なことだ。」

 

そうですね。否定はしません。働いて何かしらの収入を得なければ生活できませんから。

 

ただ、働くのは必ずしも人間で、汗水流す必要はないと思います。もっとも、大半の人が「人間」以外が働くことに想像がいかないでしょうが。 

 

しかしこれからの時代、何も考えずに、ただ「まじめに働く」という姿勢は、誰かがつくったシステムに取り込まれて利用され続けるということを意味します。たとえば正社員は、政府の徴税システムにがっつりと組み込まれ、容赦なく天引きされてしまいます。将来は天引きだけで収入の半分くらいに達しそうな勢いです。事業家とは異なり、そこにコントロールの余地はほとんどありません。

 

正社員だった頃は、企業に雇用されて「正社員」として働くのが「当然」という考え方でしたが、一度離れてみると「当然」ではないんですね。

  

しかし、ただまじめなだけのサラリーマンは、会社や上司から仕事が与えられて、それをこなすよう要求されます。この商品をいくつ売れ、この作業を今日中に終わらせろ、来週の会議の資料を作れ……。会社がつくった目標に合わせて自分の目標も設定させられ、それを達成し、給料やボーナスをもらう。もちろん会社員である以上、多少はやむを得ないことです。しかし、そこに自分の戦略を組み込まない働き方は、「使いやすい労働力」として、利用されるだけの人になってしまうかもしれません。

 

税金を徴収するうえで、サラリーマンってのは便利な存在なんです。 そのため、厚生年金や健康保険といった社会保険も企業と折半であるなど、とても厚遇されています。

 

仕事や人間関係で悩むことがなければ、居心地もいいですしね。

 

税金を徴収するために「奴隷」に唯々諾々として働かせるには、生活を安定させてやればいいのです。そうすれば「反旗を翻す」ことも無いでしょう。

 

いまの時代、まじめでなくても、遊びながら稼ぐ方法もあります。実際、最近の20代、30代の若手起業家と話をすると、「自分が労働システムに組み込まれるのは無能の証し」という価値観があるようです。

たとえば投資で言うところの不動産投資はその典型例で、しっかりとした管理会社に任せておけば、ほとんど自動で家賃収入が得られます。通販をしている人に向けて、梱包・発送作業を代行するサービスがあります。すると自分はそうした作業からは開放され、商品の企画や宣伝に専念できます。

 

 「単純に企業に雇用されて働く」以外の選択肢がある現在は有利なのかもしれません。

 

実際、現在の子供のあこがれの職業は「好きなことをしてお金が稼げるYoutuber」だそうです。もっとも、そんな単純なものでもないと思いますが。

 

Youtubeで稼ぐには、視聴者が興味のある動画を作って見て貰わなければならないので、それなりの才能があったり、かなりリスクをとる必要があると思います。

 

お金を稼ぐのに「まじめである」必要はなく、「どのようにして」が重要なのではないでしょうか。

 

あ、勿論犯罪や反社会的なことはだめです。

 

ではまた。