高学歴低収入は負け組?
こんにちは、セイです。
収入は多いほうが勿論いいのでしょうが、その多寡だけで勝ち組・負け組と決めつけるのはいかがなものかと思いますがねー。
都内の有名私立女子大学を卒業後、大手企業のシステム部門に就職したとのことですが、待っていたのは男社会のパワハラ地獄だったようです。
その後、パワハラに耐えかねて退職し、「やりたいこと」をやり、非常勤ではあるものの希望通り保育士になり、収入は大企業時代と比べて雲泥の差はあるものの、今はやりがいを感じていて特に不満もなく働いているようです。
この女性にはとても共感します。
というのも実は私も同じような経歴を持っています。
私も有名国立大学(旧帝大)卒です。しかし、運悪く当時は就職超氷河期と言われる時代。たとえ旧帝大卒であってもなかなか就職が決まらない時代。
私が勤めていた会社は大手企業ではありましたが、マイナーな会社なので景気がいいときは旧帝大卒の応募者は普段見向きもしないような会社です。
それが、私が就職した時は旧帝大卒がゴロゴロいましたから、それだけ就職が厳しい時代でした。
「就職するまで、何かにつまづくということはありませんでした。でも、一度挫折を味わってからは、上手くいかないことばかりで……。本当、何のために大学までいったのか、わかりませんよ」
まったくですねぇ。私も就職した先は大学で履修したこととは縁もゆかりもない会社でした。何のために大学までいったのかって気もしますが、当時はとにもかくにも正社員で就職することが最優先でしたから。
今にして思えば完全にミスマッチでした。不景気で求人が少なかったから仕方ないといえばそうですが。
「親の期待に応えていい大学に入りましたけど、正直無駄になりました。両親には悪いですけど、たとえ生活は苦しくても、今の方が生きている実感があります」
ですね。給料は低くても生活が苦しくても嫌な思いをして働くより、やりがいがある・苦痛を感じないところで働けるのが一番です。
名門大学への入学から生じた自尊心と両親の期待。そんな誇大化したプレッシャーから解放された黒田さん。彼女は「いい大学に入れたからって、その後の人生がすべて幸せってわけではないんですよね」と、自らの人生を振り返り自嘲した。
不景気の時代に大手企業に入社できたのは高学歴であったからと考えたら、全くの無駄ではなかったのかもしれません。でも所詮、学歴なんてせいぜい新入社員で企業に入社するときのパスポート程度。中年になったら学歴なんて無意味。
中途採用者に求められるのは即戦力なので、今まで何をしてきたか、何ができるかの方が重要。そういった意味では嫌々仕事をしてきた私には何のスキルもありません。
そういえば上司によく「〇〇大学なんて頭のいい大学出たんだからこれくらいできるはずだろ」と言われましたね。
適性を無視して「できるはず」と言われてもねぇ。
勉強ができる=仕事ができるじゃないんだよ。
それに、もし仮に私が有能で能力があったとしても、それは会社のためにではなく、自分の人生の為に使うべきではないかと思っています。
もっとも、勿論自分が有能だなんてこれっぽちも思っていません。というより、定年まで働かず、途中で企業を退職した時点で社会不適合者である自覚はありますが。
ではまた。