私が大企業を退職した理由(1)
こんにちは、セイです。
今回は私が早期退職に至った理由や経緯について書いてみたいと思います。
私が退職した企業は有名ではありませんが、いわゆる「大企業」にあたります。
残業代もきちんと出ますし、給料未払いなんてこともありません。ボーナスも出ます。有給休暇取得も推進しており、少なくとも法的には「ブラック企業」などではありません。
もっとも、私が入社した当時はまだまだサービス残業がまかり通っていましたが。
私が早期退職したのは、社畜に成り下がりたくなかった、といえばカッコいいのかもしれませんが、ありたいていに言えば仕事が嫌だったからです。
もっとも、単に仕事が嫌だからと言って何の勝算もなく退職するような自殺行為はできません。また、大半の人が嫌々仕事をしているでしょう。
20代、30代のように若ければ再就職も比較的容易かもしれませんが、40代半ばでは正社員で他の会社への転職はほぼ絶望的でしょう。仮にうまく転職できたとしても、前職よりも給料が大幅に下がることはまず間違いありません。
一般的に考えたら、よほどの理由がなければ、せっかく長年勤めた大企業を辞めるなど、ありえない話です。
私が早期退職を選んだのは、嫌々している仕事が「いい加減、我慢の限界を超えた」ことと、「仕事を辞めても何とか逃げ切ることができるくらいの貯蓄ができた」ことが最大の理由です。
このどちらかが欠けていたら、おそらくまだ我慢して仕事を続けていたと思います。
「仕事を辞めても何とか逃げ切れることができるくらいの貯蓄ができた」ことについてはまた別の機会で述べるとして、今回は「我慢の限界を越えた」ことについて述べたいと思います。
私が大学を卒業して今の会社に 入社して20年。その間キャリアアップの名目で会社の都合であちこち転勤させられました。合計で5か所。平均4年で1回のペースです。
引っ越ししたことがある方は解ると思いますが、引っ越しというのは物凄くエネルギーが必要となります。こんなペースでちょこちょこ転勤させられたのではたまったものではありません。
私が勤めていた会社では、転勤先の転居は社宅扱いになり、会社が幾つかピックアップしてくれた中から選ぶという方法であったため、その中から気に入った物件を選べばいいので新居選びはそれほど苦労はないものの、中には妥協せざるをえない場合もあります。
また、当然ですが、引っ越しに伴って部屋の中の整理や掃除、荷物の梱包もしなければなりません。役所や銀行や証券会社や電気ガス水道電話などの手続きも必要です。
人間関係とかも全て一からやり直し。
なにより全く見知らぬ土地へ行くという不安。ときには北陸地方の都市に転勤になったこともありました。もともと太平洋側に住んでいて雪国には住んだこともない私にとって、辞令を聞いた瞬間目の前が真っ暗になりました。雪道なんて運転したこともありません。 恐怖でした。
勿論、ものは考えよう。転勤先でその土地の美味いものが食えるとか、観光ができるとか、新しい出会いがあるかもしれないといったメリットもあります。遠隔地に行くには時間と金がかかりますからね。
それにしても「住めば都」とはよくぞ言ったものです。恐怖の雪道も時間が経つにつれ、慣れてどうということもなくなりました。積雪も、5㎝積もって大雪だ!と騒いでいたのが嘘のよう。30㎝位積もっても、「あ~、そこそこ積もったな。雪かきめんどくせぇな」くらいになりました。人間って自分で思ってたよりも意外と環境に適応できるのですね。
引っ越しは大変ですが、転勤して良かった、と思う赴任先もありました。
仕事は楽しくないですが、プライベートで友人ができて色々その土地ならではのところへ連れて行ってくれたり、飲みに行ったり。
そこは第2の故郷といってもいいくらい、楽しかったです。それこそ仕事終わるのがまちどおしいくらいに。このままならずっとここにいたい。実家があるからやがて戻らねばならず終の棲家にはならないだろうけど、時間が許す限り、できれば定年退職するまで、ずっと。
しかし、楽しい時間というものはあっという間。時が経って、上司が代わって嫌なパワハラ野郎が上司になりました。ここらあたりから歯車が狂いだします。こいつとはウマが合わずまた転勤になりました。
このころから「早期退職」という思いが大きく台頭し始めます。
勿論、入社したときは定年まで働くつもりでした。というか、それが当たり前だと思っていました。しかし、つまらない仕事をしているうちに「定年退職するよりももっと前に退職したい」という漠然たる思いが芽生えてきたのです。
もっとも、今すぐ退職するというわけではなく、定年前に退職するとしても55歳とか50歳(当時はまだ60歳定年)くらいになったら退職しようかな、といった程度でした。
新しい赴任先は面倒なことが多くて馴染めず、さらに輪をかけてつまらない仕事ばかりで毎日が地獄でした。
「早期退職」への想いは大きくなる一方です。
そして半分左遷のような形でまた転勤になりました。給料は変わらないものの、余計な肩書が無くなって責任が無くなり、辞令を聞いた瞬間、やっと地獄から解放された。そう思ってほっとしました。
しかし、それも束の間。
新たな地獄が待っていたのです。 「私が大企業を退職した理由(2)」へ続きます。